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梅田望夫氏が、日本のWebは「残念」と言ったのは2009年6月。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/01/news045.html
上記URL本文中で『ウェブはバカと暇人のもの』という本からの、以下のような引用があります。
「梅田さんのウェブ進化論を否定するわけじゃないけど、彼が書いているのは頭の良い人の世界。わたしがこれから書くのは普通の人とばかな人の世界」
SNSはmixiもTwitterもユーザー数が増えると明らかに「バカと暇人のもの」になり、現実世界はまさに「普通の人とばかな人の世界」なのだと思い知らされるという意味で、インタビューそのものより引用部分の方がコンテンポラリーな発言に感じられてしまう2011年。
熟成はさらに進んで一層残念感が漂ってまいりました。
一般的に頭のいいひとたちはその理性を駆使して現実を説明しようとします。だから賢いひとほど陰謀論や疑似科学にはまり勝ちです。
ところがTwitterでの政治家や科学者や芸能人などの多くのつぶやきやWikiLeaksの登場の結果、結局みんな同じ人間である以上ふだんの言動はふつうで、この世界には陰謀を企む組織もなく政治を影で操る官僚もおらず賢者もいないことがだんだんわかってきてしまいました。
昨日(※Facebookでは広告の話を書いてました)の広告の話でもすこし触れましたが「これぐらいの効果があるだろう」はネットによって顧客の数と姿が晒されることで瓦解しつつあるのと似た状況です。
これがどういうことかというと、 「残念」なのは日本のWebでありマスコミであり政治家であり芸能人であり主婦でありニートであり会社員でありアーティストでありマイノリティであり視聴者であり顧客であり海外諸国であり日本であり……要するにすべて残念なのです。
つまり、
「ヒトは人類を過大評価してた」
に尽きるのではないかと。
ずっと想像の「きっと理由があるに違いない」を積み重ねて事象の欠落を補ってきましたが、ついにインターネットがそんな欠落はそもそも存在していない事実を白日に晒してしまいました。
なぜそんなことができたのかというと、インターネットはテキストベースなので、発言の大きさがフラットになってしまうためです。つまり今まで声の強弱や地理的に声が届かなかったもの(つまりほとんどすべての声)が同じ大きさ、同じ場所で共鳴してしまうのです。
これに匿名性(本当の匿名かどうかは関係ありません。発言者がそう信じていれば発言内容は同様になるので)が加わると人間関係から「距離」の概念が喪失します。
それは外面的な「礼儀」と内面的な「慮り」と言い換えてもいいです。
インターネットでイエスが「このなかで罪なき者がまず女性に石を投げよ」と言えば匿名者たちは我先に石を拾って投げつけるでしょう。実は宗教を持たぬ多くの日本人の「罪の意識」は「名前」に貼りついているからです。だから名前が隠されれば罪の意識も消えます。
もうここにいたって「世間体」は機能しないのでこどもは年齢を重ねても背伸びしてスーツを着て自分の社会人像に自分をあてはめて、リスクを背負い覚悟を決めておとなになる必要はありません。
なぜならこの世界におとなが存在していないことを知ってしまったから。
この世界新秩序を体感か理性で理解できないひとは「ネットの闇」だとか「孤独の逃げ場」と言い出して新たな時代の「アンファンテリブル」たちから失笑を買うことになります。
これは決して進化ではありません。
が、ツールがもたらした大きな変化ではあります。例えるなら碇ゲンドウのような指導者抜きでバカと暇人が「明るく残念な人類補完計画」を成し遂げようとしているのです。
もはや叡智や真理は消え失せ、議論は「ぼくの考えた物語」の発表会になり、ひとも事件も理論も悩みも何もかもが「物語」として調理されその出来如何で感情のムーブメントを生みバイラルを起こし「物語」ならぬディスプレイの向こうのひとをときに傷つけ、ときにふるい立たせます。
まだ「愚者は知者に絡むが、知者は愚者を避けて通る」という一種の「片想い」なり「異なる常識のぶつかり合い」から今は「軋み」が生じてますが、これはコミュニティが次第にわかれ階層化され、知的に上位の階層が下位をケアをすることでだいたい解消されていくと思います(まだマイノリティのため仮に下位としてますが、こちらこそが未来に近い新しい秩序の人々で、次第にあらゆる階層がこの人々で満たされていきます)。
それまでは過渡期の事象として何かにつけ「このひとは思っても口に出せないひどいことを言うなんて、なんと思いやりの心がないんだろう。想像力がないのだろうか」と「このひとは思ったことを口にしただけで、なんでそんなに怒ってるのだろう。物語の理解力がないのだろうか」というぶつかり合いが発生すると思います。
それをぼくは旧弊の側との立場を明示した上で
「これからは無邪気な悪意なき悪意で刹那に騒ぐネットの人気者のみなさんの時代がやってくる」
と表現しました。
ですが、どんな時代になってひとが変わってしまったように見えても、人類の本質は何も変わらず、ちょっと前より多くの人間性が可視化されるようになっただけで、新しいものは何ひとつありません。もともとひとの内に備わっていたものです。
ゆえに人類の幸せや知性の総量は変わりません。
ようこそ。
残念な新世界へ。